今日の仕事中にあったできごと。
初対面のおじさん、ミドルで、体も声も大きなひと。自分の声が大きい分、わたしの通らない小さめの声は、よりいっそう小さく感じられてしまって、「は!?聞こえない!」と強く聞き返されてしまった。
それだけなら、わたしが少しがなる程度の声量で話せば、疲れるけど解決する、で済んだんだけど、悪い人じゃなくて。いろいろ話しかけてきてくれるから、接客も頑張って声出してやってみて。
そうしたら、たぶん悪気なく、こう言ったのよね。
「いいね!声小さくて聞っこえねえけど、ずっと座って仕事してられて!定時で帰れて!それでお給料もらえて!俺も若い頃勉強しておけばよかったね!」と。
ひさしぶりに、心が軋んだ。
大きな声の人には、小さな声の人の気持ちはわからない。
したい仕事をしている人には、置かれた環境にうんざりしながら、それでも改善しようと仕事をしている人の気持ちはわからない。
何している人なのかわからないけど、自分の人生でやりたいことを犠牲にして、体調のために今の仕事に就いて、お給料も月5万下げて、定時に帰れていないことなんて、わかるわけない。
もちろん逆も然り、わたしにもあなたのことはわからない。けどさ、友達でもない、家族でもない、顔見知りでもない、そんな人にかけていい言葉とそうでない言葉くらい、いい大人なら当たり前のようにわかると思ってたけど、そうじゃないんだね。
生命保険の営業をしていたときも、契約社員で働いていた時も、事務職に就いてさえも、「職業と性別」で下に見られていることを実感してしまう。
小さな声の人は、「声が小さい!」「もっと声出して!」「聞こえない!」と言われると、余計に声が出せなくなってしまうこともある。
小さな声の人は、好きでそうしているわけじゃなくて、生まれ持った声量がその大きさなだけ。そしてそのぶん耳がいいから、人より多くいろんなものが聞こえてしまう。聞こえてしまうことだってつらい時もある。人より物事に敏感な一面もある。
小さな声の人も、視線とか、表情とか、声の大きさだって、伝わりにくいってわかっているから、努力している。伝えたいから。
「個性を尊重」「オンリーワン」とか言うんだったら、声の大きさだって個性のひとつと呼んだって、いいんじゃない?
たとえば大きな声、きれいな顔、運動ができることだけがすばらしい訳ではない。個性に甘んじず、相手にきちんと伝わるように、努力し続けるから。寄り添い合おうとする姿勢は互いに持ち続けないと、コミュニケーションは図れないじゃない。どちらかだけが頑張らないといけないなんて破綻するだけ。
だから、声が小さくても、いいんじゃない?と、私は思うよ。
ちょっとくたびれちゃったので、文章にしてみました。早寝します。