cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

20240406雑記

一度感じた違和感が消えることはあまりないと思う。

なんとなく、今だけそう感じたのかもしれない、と思っていても

仕舞い込んでいた感覚はふとした時に顔を出す。

 

私は「人と人は対等である」と考える傾向が強い。

役割や責任の重さは異なっていても、ひとつの目的に対して対等に意見交換をしたり、向き合うことはできると思っていて、

それゆえに、見下されている、見くびられていると感じた時、相手に対して強い違和感を持つことがある。

けれど、そう言った態度を示す人が世の中にはまだまだ多いことも知っている。

 

だから沸点を高くして、気にしないようにしたり、気になってもうまく流すべきだ、ということもよく分かる。

でもなんでそのような態度を取られる側が、気を遣わなければならないのだろうか、と思う。

 

そういう無用な気遣いを軽減することができるのがリモートワークという選択肢であったり、組織に属さない働き方であるので、

今は社員に戻ったけれど、いずれはそのような働き方で生活を成り立たせる形に戻りそうだと考えている。

ただ流すやり方よりも、「そういう人はいるし、自分はこういう人だから」と物理的な距離を設ける対策をとって

軋轢を起こさないようにする、という線を引いて、相手とうまくやる選択肢を取りたい。

 

今更鈍感になるとか、我慢し続けるとか、そっちの方が現実的ではないもの。

細く長く働き続けるために、今後10年〜20年の働き方を考えておきたい。