cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

もやり もやり

理解しようとすると難しいことがある。なんら変なことではないのだが。
頭を整理するための、ほんの独り言。

オリンピックが始まった。開会式を境にSNSの空気感もガラリと変わったように感じる。それまでは何かと特定の誰かが攻撃されるムードだったけれど、結果始まってみれば穏やかに応援して楽しんでいるように思う。
悪いことではないし、とても日本人らしいなと思う。終わりよければ全てよし、のような。けれど、それらの攻撃性は、ここ1年半くらいの変化によって溜まったストレスや不安、閉塞感など、そういうマイナスの感情の行き場が欲しかっただけなのかなと思った。正直に言って、強い言葉が並んでいたSNSが手のひら返しをするような印象に、ものすごい違和感と怖さを感じてしまった。
私は一切見ないと決めていて(もともとそれほど興味がないのも理由の一つ)、関心が薄い方ではあるが、それでもそういうものなのかな、という言葉に形容しがたい思いが心に浮かぶ。言及する必要のない誰かを攻撃して、自分が罰する必要のない誰かを罰して、いつの間にか、誰も話題にしなくなる。そんな流れについていけないことがある。
即効性のある解決策はないことだけど、この流れに怖さを感じる人もおそらく多くはないのだと想像する。誰かが白と言っても見えるものが白にならないような、そんな性質を持った人はどれだけいるのだろう。

友人に、「自分が生まれ育った都市が開催地になることなんて、もうこの先きっとない。頑張っている人が報われてほしい。」と言われて、「そういうものなのか」と思った。あまり「まち」や「所属」に対して帰属意識がある方ではないので、そう思えることは単純に素敵だなと思った。そういう気持ちがもう少し強かったら、また感じ方も違ったのかな。

私は私で、自分の感じ方を否定しない、間違っているとは考えないこともまた、大事なこと。いろんな考えがあることが自然。距離感さえ間違えなければうまく「そういうものか」もわかるようになるかもしれない。