cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

自分の意志で選び取っていくこと

「文句はね、仕事をしている人しか言えないの。やることやってからあーだこーだ言うようにしようね。」
ほんの半年前まで、そんなことを一緒にはたらく同僚や後輩たちに言う日々だった。ルーティン、言われたことを指示された範囲でこなしていく、根拠の分からない数字だって達成していく。自分の意志でなにかを動かせることなんて、ほとんどない毎日。
去年は医療機関の状況がガラッと変わって、初めてやることや、前例のないことが多くて、柄にもなくまわりを引っ張っていく、仕組みをつくりだすなんてことをするようになった。ふと、「これが終わったら今が動くタイミングかも」と思った。

何年か前に知り合った人に、「やらなければいけないこと、やりたいことをやり切ってから、転職した方がいいと思う。」と言われたことがある。
その言葉を受け取った直後は、どうにかして逃げ出したくて、こんなところでは自分の時間を浪費しているだけだとしか考えられなくて、もがいたけれど上手くは進まなかった。今ならわかる。それは逃げの転職だったからだ。

今年の1月から、フルリモートの会社ではたらくようになった。
なんとなくTwitterで見ていて、「ああこの人がいる会社で働きたいな」と思っていたら、いつの間にか実現していた。世の中には、願って行動に起こせば叶うことが30代になってもあるのか、と思った。
退職の意を伝えたときには「オフィスがないの!?大丈夫その会社!?転職やめた方がいいんじゃないの?」なんて課長に言われたものだけど、はたらき方を大きく変えたことで、生活の質と肌の質は格段に良くなった。吹き出物が出ない上に風邪をひかなくなった。体重は少し増えた。

3年半、毎日もやもやしていた。
思うようにいかないわけじゃなく、単純に自分より高いお給料をもらいながら、責任を果たさない人たちに憤っていた。ログインボーナスのように毎日定時に出勤して、イレギュラーが発生しても何食わぬ顔で定時に帰って、割りを食うのは真面目な人たちだった。そんな環境にほとほとうんざりしていたし、自分の意志でどうにもならないことに腹を立てる自分自身に、いらいらしていた。
おまけにどんなに頑張っても、中途入社の人間は新卒入社の人のように、開かれたキャリアパスが存在しないことも、背中を押した。日本にはまだまだ、こういう会社がたくさんあるのだと思うことも忘れない。
今も昔も、そんな鬱屈したひとたちに、すこしでも選択肢を増やせる機会を多くしたい、顔を上げて歩いてほしい、と思いながらはたらいている。

リモートで仕事をするようになって、ワークスペース(自室)にいるのが自分だけになり、目に見えるなにかに感情を左右されることが格段に減った。(とはいえ昨今の長雨にはなかなか辟易している)
こないだまで母も誤解していたが、フルリモートだからと言って孤独なわけではなく、同僚も上司もいるし、コミュニケーションは今までよりフランクに増えている。
まず自分で考える。分からなかったらすぐ聞く。嬉しいことがあったら一緒に喜べる。対面じゃないからこそ、シンプルなコミュニケーションが生きる世界。新しいはたらき方を試してみることで、得たものが多すぎて書ききれないくらい。
文句を言うためでもなんでもなく、「自分の意志でやりたいと思ったこと、誰かのためにしたいと思ったことが実践できる」はたらき方は、こんなにもポジティブなものなのか。
前向きで、太陽のようにあたたかいメンバーと一緒に働けて、うつむいていたわたしも少しずつ、「やってみたい」を声に出せるようになって、ひとつひとつ実現し続けている。
「今日中にこれやっちゃいたい!!」に手をつけすぎる癖も相変わらず健在だ。

これからどうはたらいていくのか。どんなキャリアを積み重ねてどんな人間になっていくのか。急展開でジェットコースターのようにめまぐるしい毎日も、ルーティンの穏やかな日常も、はたらかないという選択肢も、自分の意志で選び取った未来なら、きっとその先は光がある。
たのしくはたらこう、リモートはいいよ、と押し付けることもしたくない。ひとりひとりに合った生活の仕方があることも事実。だけど、迷っているだれかが、そっと手に取ってみる選択肢になったらうれしい。考えていることはそれだけ。
凝り固まった考えにとらわれないで、柔軟に自分自身と向き合いながら、その時々に合った「はたらき方」を選択していけたらきっと、たのしく生き続けられる。「在りたいわたし」をはたらくことで体現できることが幸せなことだと、そう思えるようになったことが、あたらしいはたらき方から得られたこと。そう思いながら、今日も明日もはたらいていく。