cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

20/12/8 師も駆けるとある日

2020年は本当に色々なことがあった、と各方面で話している。
11月末、ついに長きに渡る転職活動に終わりを迎えることができた。2021年からは少しずつ「いつかできたらいいな」と思って部屋の中を整えてきた、リモートワークを叶えることができるみたい。願いは口に出したほうが叶うと言うけれど、確かに実現するために物事を進めたり考えを整理したりしていたかも、と思う。
どんな仕事をしたって向き不向きはあるし、嬉しいことも不満も出てくるし、それでも「得意なことを一定の位置でやり続けることよりも、出来ることを増やしたい」という思いが強かった。色々ややこしく話してしまうけど本質はそこなんだろう。スペシャリストよりもゼネラリスト思考。何かに秀でることができない何でも屋さんを否定も肯定もせず、受け入れてくれる人がいることに感謝して働いていきたい。

多分これまでの転職と違って一番前向きな理由で行動できた気がする。1社目は上司が実の親という環境から離れてもう一度東京に出たい(これもそこそこ前向きか)、2社目は体調不良と失敗を引きずりすぎてしまったこと。今回は一通り仕事をして、店舗という小さな場所ではあるけれども数字も出して、もうここで学ぶことはないと言ってもいいくらいかなって。(あるんだけどさ)

人材紹介業に携わっていた割に、「職業に貴賎はない」と言っている私自身がおそらく自分自身に対して一番差別意識が強かったと自己分析している。そもそも大卒の時点で内定はなく既卒枠で活動して、半年後から生命保険の営業職・契約社員・事務職と仕事を選んできた中で、実はどの仕事も胸を張って「この仕事しているの!」とは言えなかった。新卒カードを持った人たちに勝てるわけないとすら思っていた。もちろん言っていいんだけど、例えば「セールスレディ」という単語がニュースアプリで出てくることに嫌悪感を抱いているし(営業職の中であれだけは言い方が特殊だよね)、正社員・契約社員の隔たりも感じていたし、医療事務は今後AIに取って変わられそうだし、と軽視・蔑視されがちな仕事だと私個人的には認識してしまっていて、その意識をなかなか覆すことができないでいた。家庭環境もあって学生の頃から将来の選択肢もそんなに広くなかった。成果を出しても劣等感を拭い去れないでいた。

そんな後ろ向きな心を抱えながら、でもできることをやって考えていくしかないなって思考を持てたのは母のおかげだったりする。あの人は強い。そうしてようやく、「働くからには自分の意志をもって決断したい」とか「せめて自分の周りの人が前を向いて歩けるような環境をつくりたい」とか、「誰かにひとつでも多くの選択肢を」とか、ちょっとずつ前向きな気持ちを持てるようになった。これは今後もきっと変わらないテーマなんだと思う。「はたらくこと」について考えるのは好きだし、働くことに熱さを抱いていたい。これからも。

新しい行先とやることは無事に入社できたらまた書こうかな。入社日まで気を抜かないのが転職の鉄則。
自分の人生に責任を持てるのは、自分ひとりしかいないのだから、楽しくやっていこうと思う師走の日。