cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

20/5/17 あかるくはない記録

なんだか全然いつもと違う私だった、という記録。あまりこう言う話を書いておくのもなと思うけど、振り返りに必要なので残しておく。

ちょうど前回の記事をまとめた頃、GWが終わる手前から、なんだかスイッチが切れてしまったのか食欲が削ぎ落ちてしまっていて、自炊をきちんとすることをやめた。漬けた新玉葱のピクルスと納豆ご飯を食べていた。
5月7日〜9日の3日間は、夕ご飯を食べられなかった。働かなければならないので朝食とお弁当は辛うじて用意して、帰宅してはぼうっとしながら炭酸水を飲んでいた。土日は家に篭りすぎてはいけないと思い、10日は散歩に出かけた。小説を読むかSpotifyで音楽を聴くかの日々が続いた。人と連絡を取るのが面倒になった。

5月11日〜14日は暗黒。まず仕事をしているあいだ、「先輩」として新人を指導するので「いい人」でいなければいけない。「仕事の早いわたし」でいなければいけない。効率よく待ち時間を減らさなければいけない。というもはや強迫観念に近い何かに縛られながら、うつうつとする気持ちを抱えながら働いた。楽しそうなふりを整えて。でもよく苛々していた。昼には疲れていた。もしかして数年前に逆戻りしてしまうのか、と怖くなった。「気圧のせいか、暑さのせいか、足がむくむし重いし。なんなんだろうね」と言う薬剤師がいて、「あ、鬱っぽくなりかけてる以外の選択肢があるのか」と少し安堵した。
帰宅する頃には足が鉛のように重く、家につくと部屋着に着替えてベッドに吸い込まれる。小1時間ほどそうして、動けるようになってきたら栃尾揚げに納豆を挟み焼きにしたものを「食べたくない時は食べなくていいけど、食べられる時はタンパク質を摂取してね」という友人のアドバイス通りにつまむ。おいしいという感覚はあるのが救い。起き上がっていると疲れるし、iPhoneNintendo Switchを手に持っていると重い。そしてとにかく一日中眠い。

13日昼、1ヶ月ぶりに一人でごはんの後にドトールに行った。初夏の空気を吸い込んで陽の光を浴びるのは気持ちが良くて、セブンのアイスコーヒーもおいしいけどカフェという「空間」が好きで、「空間にお金を払いたい」のだと改めて思った。ちょっと気が晴れた。14日夜、会社で販売しているクエン酸アミノ酸の健康食品アバンドを飲んでみたら年に数回もやらない寝坊をした。よく眠れたのだと思う。15日はいくらかまともに動けた。16日、仕事の後ソシャゲの溜め込んだストーリーを消化する余裕が生まれた。

たぶん、GWでおやすみなのにどこにも行けず、誰とも会えず、5日間を過ごすのがほんとうは苦痛だったのだと思う。人と連絡を取ってみれば、その人の考え方次第で自粛のラインは全然異なっていたし。「私は人に会おうとしていないけど、そうじゃない人もいるよな、そうだよな」と受け止めつつ、妬ましさもありつつ。
状況から言って仕方のないことで、正しい選択なのは分かっている。けれど、一人が好きなようで、独りを実感することにはもう耐えられないのだと、振り返って思う。そばに誰かがいるからこそ一人を楽しめる、私もただの普通の人間だったんだなと、そんなことを考える1週間だった。苦痛をなんてことないように思い込んで、追い詰めてた、私みたいな人、世界の何処かには、いたんじゃないかな。

早く遊びに行きたいし、テラスでアイスコーヒーを飲みながらお喋りしたいし、ライブにも行きたいし、人とお酒を飲みたい。実家に帰って柴犬とごろごろしたい。時々くしゃみをしながら。ドラム叩きたい。せっかく貯めたANAの10000マイル使って旅に出たい。しばらく帰ってきたくないくらい。
しんどくない人なんていない。でも我慢し続けることが美徳とも思わない。つらいこと、したいこと、持ってるはずの気持ちをなかったことにしないで。思っているだけで消化できることの限界なんて知れてるの。
書き言葉なら、欲求を素直に出しても、いいよね。もうすこしだけ、頑張ろう。