cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

20/7/26 湿った夏の始まり

「しまった。」
今日は時計をつけてきていない。iPhoneの割れた画面を修理している間、iPadMacbookも持っていないから、「1時間ほどお待ちいただきます」と言われたものの、時間を知る手段がない。ついでに本もメモもペンも持っていないので何もすることがない。困った末にいつものカフェで、何もしない時間を過ごすことにした。

いつものショートサイズのアイスコーヒーと、新発売の抹茶のマフィンをいただく。ワイヤレスイヤホンをつけていないので、五感がきちんと働いて口の中でも香る。風味がわかる。あと店内で流れている音楽が心地よい。そういえば「カフェにはドリンクとフードと空間にお金を払っている」っていつも私言っていたっけ。今日はちゃんとお金を払って、代金に見合った何かを得ているような気がする。

周りを見渡すとソーシャルディスタンスを意識した張り紙と、ノートパソコンを開いてスマートフォンと向かい合った人がたくさんいる。パワーポイントで資料を作っていたり、イヤホンをして動画を見ていたり。向かい合って座る二人は携帯の画面を見て押し黙っている。汗をかいてぬるくなったアイスラテや二層になったフラペチーノが、どこのテーブルの上にも置いてある。おいしいのかしら。あんなになってしまっても、飲むのかしら。みんなは一体何にお金を払っているのかしら。ソーシャルディスタンス、それなら家でやったらいいんじゃないかな。

いつも私もそうやって過ごしているけれど、ただ消費するように物事を咀嚼していることに比べて、持て余した時間を存分に「食べて、飲んで、空間を楽しむ」ように使うことは、どんなことよりも贅沢なんじゃないかと思う。カフェでの本当のいい過ごし方ってこれかもしれない。今何時かもわからないし(隣のお兄さんに何度聞こうと考えたことか)しなければならないこともなく、ただぼうっとしていられる。そんな時間の使い方は、携帯電話を持ち始めた小学6年生の頃からしていなかったんじゃないだろうか。何かに追われ、何かをしなければ、そうしなければいけないと思う必要は、なかったんじゃなかろうか。

と思っても、何かを常にしていたいと思う性分なので、変えるつもりは今のところないのだけど。それでもオフラインの世界に生きることはどこにも属していないようで、誰かに何かを聞かないと何もわからない状況は、海外旅行みたいな感覚でちょっと面白かった。なんとなく、適当に1時間かなと思ったら50分くらい経っていた。月に一度くらいは、インターネットのない時間を過ごしてみるのも必要なのかもしれない。頭のリセットとか、気持ちの整理とか、そういうもののために。

直ったiPhoneを手に帰路につくと、Wi-Fiがないと圏外が続いてネットワークに繋がらない状態になってしまっていて、オンラインの世界を求めて閉店間際のApple Storeに再度駆け込む羽目になるのだけど。自宅に着くまでアプリも開けない。外の音をよく聴いた1日だった。

雨が降ったり止んだり、蒸して暑い今日は、こちらを聴いていた。日本の夏。