cinnamon teacup

エンターテインメントに支えられている人の、ぽつりぽつりとしたひとりごと

20/11/3 getting better

いつもの備忘録として。

人が作ってくれるご飯を食べる機会が戻ってきた。友人の家に遊びに行って、飼っているわんこと遊んで、食事も一緒にいただく。自分が作るごはんも美味しいけど、誰かと食べるごはんはもっと美味しい。根がベクトル常に内向きなのだけれど人と話すことはやっぱり楽しい気持ちになる。

2020年はコロナの影響で人と過ごす時間がかなり減った生活をしてきて、ひとりじゃない時間のありがたみを感じることが増えた。一人の時間が好きなのは、どこかで一人になれる前提で誰かと一緒に過ごすからなのだと思う。人に会えない期間は土日の2連休すらいらないと思ってて、なるべく土曜に仕事を入れた。予定を立て始めた9月以降は少しずつ「ひとりの時間が欲しいな」という思考が戻ってきた。一人が好きでも独りには向いていないのだと知った。多分わからないことって相手だけじゃなくて自分に対しても生きている限りずっとあるんだと思う。

腰が痛い。8月に整形外科に行って「ぎっくり腰2歩手前だねえ」と言われてから、人をダメにするソファは別な意味で人をダメにするのか、と思いなるべく机に向かっている。毎月定期的に爆発するように前屈ができなくなるので30歳過ぎたら無茶はできても無理は避けた方がいいのだと悟った。すぐヘルペスできるし。腰は体の要。いつまでも顔くらいは自分で洗える状態でありたい。腰痛があるときは温めない(入浴しない)・ストレッチしない・筋トレしないが鉄則とのこと。

ずっと会ってみたかった人に会う機会を持つようになった。初めはいい格好をしようとしてしまいがちなのだけど、30代に入ってそう構えることもなくなって自然でいられるようになってきたと思う。「お話していた通りの人でした」と言っていただけることが多くてありがたい。文字に起こす自分自身と動いている私に乖離が少ないのっていいことだと純粋に思う。書いていることを好きと言ってもらえるのは素直に嬉しい。

終わりを消化して昇華する。それが難しいことだと漸く知る。
消化するために新しいことを始めようとしてもふとした時に頭をよぎる。だとしたら昇華できるまできちんと向き合って置いておくべきなのだと思う。それだけ感情を動かすということは労力がいる。一人になることができて、初めて他人と過ごすことが出来るようになる。調子が良くなってきたとしても時々振り返してしまうこともあるけど、それは間違った反応じゃない。体と心は同じ。無理はせず、無茶すべき時は無茶をして。楽しく在れるように。